より賤《いや》しくない態度で、鋭い毒舌だった。
「おい、おさつさん、八百屋が出るようだったら、衣類《きもの》をかりるぜ、今着ているのを、そのままでいいや。」
と、猪首《いくび》で、抜き衣紋《えもん》をするかたちを、真似て見せた。
 あたしは、この肥《ふと》っちょのおおかめさんに、おさつさんという名があるのを、不思議な気もちできいていた。
 ――この、不思議な会話を、後日思出したときに、幼いころの、この謎《なぞ》のようなことばが、やっと解けたのだった。八百屋の婆とは『心中宵庚申《しんじゅうよいごうしん》』の八百屋半兵衛の養母の役でいろぶかい姑婆《しゅうとばば》あのことであったのだ。その時の、袴《はかま》をはいた、色の黒い中年男は、中村勘五郎といった皮肉屋で、浅草今戸に書画や骨董《こっとう》の店を、後になって出したりした、秀鶴仲蔵《しゅうかくなかぞう》を継ぐはずの俳優《やくしゃ》だった。彼は、贔屓《ひいき》の女客を反《そ》らさないようにしながらも、なかなか傲岸《ごうがん》で、しゃれのめしていたのだった。
 もし、この女客――八百屋半兵衛の養母の拵《こし》らえ、着附けを、すこし委《くわ》しく
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