空函《あきばこ》をあつかう箱屋までがあって、早くから瓦斯《ガス》やアーク燈を、荷揚げ、荷おろしの広場に紫っぽく輝かしたりした。構えも大きく広やかだった。
それにつづいて、見かけは唐物問屋ほど派手ではないが、鉄物――古鉄もあつかう問屋がめざましく、揚々《ようよう》としていた。洋銀《ドル》相場での儲《もう》けは、商業とともに投機的で、鉄物屋の方が肌合が荒かったかともおもわれる。いってみれば唐物屋はインテリくさく、鉄商は鉄火だった。
この、鬼眼鏡おつやを学ぶのが、鉄屑肥《かなくそぶと》りの大内儀《おおかみ》さんであったのだ。
前承のおおかめさんは、たしかに鬼眼鏡の有名な遊興によって、発奮したといってもよいのは、彼女も八丁堀の古着やの娘であったし、俺も働いて資産《しんだい》をつくったのだという威張りと、亭主が、横浜まで裸で、通し駕籠《かご》にのって往来《ゆきき》したというほど野蛮で、相場上手だったので運をつかんだのだが、理想が鬼眼鏡だから、自分もそうした人気者を贔屓《ひいき》にしようとした。
「おい、この子は、どこの娘《こ》だ。」
「あたいの娘だよ。」
「嘘《うそ》言え、手めえの面にき
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