るのにおかしい。」
 女中さんが笑ったのとは違って、子供には、家内そろって、みんな一緒でないのが訝《いぶか》しかったのだ。
「あすこは、古いお家《うち》だから、お精進日《しょうじんび》が多いのだろう。」
 ああ、なるほど――と、ちいっぽけな者にも、その意味がわかるほど、古風な紙が台所にさげてある家があったのだ。
 精進日覚、
[#ここから2字下げ]
×日  朝
×日  昼まで
×日  終日しょうじん
[#ここで字下げ終わり]
 そんなふうに書いて張ってあるが、三十日間に、幾日もあき[#「あき」に傍点]のない家もあった。御先祖さまの日、御先代の日、誰の日、彼の日、等々と、精進日つづきで、どんなけちんぼのとこでもお魚をつけるおさんじつ[#「おさんじつ」に傍点](一日、十五日、廿八日)まで、お精進が繰込んでいる。時によりものによって、魚《さかな》の方が野菜ものより安価なことのある今日とは、魚《うお》の相場が大変違うので、大勢の人をつかう大家内では、巾着と相談の上から考慮された仏心《ぶっしん》であったかもしれないが、土地がらに似合わない、洋服を着て抱え車に乗る、代言人の、わたしの父の家でさえ、
前へ 次へ
全19ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング