かめさんの台所の障子口から顔を突ッこんで、買っとくれようといったのが縁で、この連中が面白がって小僧にしたのだから、気に入らないと、剥身を売っていたときの、着物きせて、大門通りを歩かせるぞと言われるのが、よっぽど恥かしかったものと見える。
も一人の平三は、車力《しゃりき》の親方の子で『菅原伝授手習鑑《すがわらでんじゅてならいかがみ》』の寺子屋、武部源造《たけべげんぞう》の弟子ならば、こいつうろんと引っとらえと、玄蕃《げんばん》が眼を剥《む》きそうな、ひよわげで、泥亀《すっぽん》に似た顔をしている。亀吉の精悍《せいかん》さが眼立ちもしたが、平三の背景は亀吉とちがって、おおかめさんの連合《つれあい》が若い時分、吉原の年明《ねんあ》けの女郎が尋ねてきたのを、車力宿で隠囲《かくま》ってやっていたというのが、不心得で、親たちがおおかめさんに忠義でないといわれるぐらいだった。
おおかめさんの風貌《ふうぼう》を、もすこし委《くわ》しくいえば、体の大きさと眼との釣合は鯨《くじら》を思えばよかった。鼻は、眼との均衡がよいほどだが、竪《たて》に見えるほどの穴が実に大きい。私は古面《こめん》展覧会で鎌倉期
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