い。

 そのころは、まだ写真術が幼稚だったし、新聞の号外もまだ早く出なかったから、私たちに目から教えたものは、やはり木版|摺《ずり》三枚つづきの錦絵《にしきえ》だった。ここに入れるのに丁度よい議事堂の火事の絵をもっていたのだが、どこへか失ってしまった。私は昨日も今日も、随分たんねんに探《たず》ねたが見えないのですこしがっかりしている。

 人は何かあると、家の中になんぞいられるものではないと見える。童女のあんぽんたんの知る憲法発布もそうだったが、日清戦争のはじまった時もそうだった。ただ、ワアーと男たちが外へ飛出した。ただすたすたと駈けてゆく。下駄で、前垂《まえだ》れがけの、縞物《しまもの》の着つけの人ばかりの町だ。かわった風体《ふうてい》のものが交ったって目にもはいりはしない。なんだか妙に、賑《にぎ》やかにさびしく、興奮した顔というのか、近火へでも駈けつけるように、誰も話しあいもしないで、すたすたと、各自《めいめい》バラバラに駈けていった。女たちは落附かない、びっくりしたような、ポカンとした顔を門口《かどぐち》に並べていた。
 戦争だ!
と誰かが叫んだ。みんなが駈けてゆくさきは交番だ
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