《さいかく》の生ていた時代に遠くなく、もっとも義太夫|節《ぶし》の膾炙《かいしゃ》していた京阪《けいはん》地方である。女子《おなご》に文字を教えると艶文《いろぶみ》ばかり書くと、文字を教えたがらなかったという土地がら、文盲をつくるのに骨を折ったのであろう。
 彼女はお寺の墓地で、竹の棒をもって男童《おとこわらべ》たちと遊びくらした。お彼岸の蒔絵《まきえ》の重箱の中にはお寺さんへもってゆくお萩餅《はぎ》が沢山はいっている。寺の門近くくると、重箱をもって来た下男を帰してしまって、遊び友達の一日の食料をもっている事に満足した。犬蓼《いぬたで》の赤い花の上に座ってお萩をたべる子供たちの、にこやかな頭の上には高い空があった。文化の昔の女団長の頭の、やっと結わえた蝶々髷《ちょうちょうまげ》には、赤トンボがとまっている。
「もっと食べよ。」
「もうこんなにお腹《なか》大きくなってしまった。」
 あぶらやさんをかけた男の子が胸をのしてみせる。あんこのついた指をしゃぶるものもある。鼻の頭へ黄豆粉《きなこ》をつけているものもある。上唇についた黒ごまと鼻汁《はな》とを一緒になめているものもある。
 そこで困
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