申候。命の限りはわかり不申候へども、まづ今の病気の様子にては、あまり長いきも出来不申と心得、もはや、ていはつ(剃髪)いたし、なむあみだ仏のみ心がけふして居申候。しかしながら、このたびは栄吉が至つてていねいに世話しくれ候ゆへ、何も不自由もなし、誠に嬉しく仕合に存候。
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こんな手紙を見た、年期中の親孝行な忰《せがれ》はどんな心持ちであったろう。そうした習慣《ならわし》が、祖父を辛棒つよい、模範的な町人にしてしまったのであろう。祖父の母は歌人《うたよみ》で、千町《ちまち》といったというのだが、千町とは聴きあやまりであったのか、千蔭《ちかげ》の門人にその名はないという。祖父も手跡はよく、近所の町の祭礼の大幟《おおのぼり》など頼まれて書いた。
そうした優しい男と、生れた時に祝ってもらった、京人形長吉を抱いて、振袖で、通し駕籠《かご》で江戸まできて、生涯に一度、また通し駕籠で郷里を訪れただけの祖母との新|世帯《しょたい》は、それでも琴瑟《きんしつ》相和したものと見えて、長吉のしめている帯は、祖父が仕立て、時の将軍様のもちいた錦《にしき》のきれはじであり、腰にさげている猩
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