びつ》だけ古道具屋で買ってはいけないのですか。」
「お前が出世前だからいうのだよ。」
 毬栗《いがぐり》のような男は大いによろこばされた。
「僕が出世前だからでしょう、御教訓によって米櫃《こめびつ》も買いません。」
「馬鹿なことは言いなさんな。お前の身分で、古道具屋からでも米櫃が買えればたいしたものではないか、米櫃というものは、入れておける米が買いおけるから入用なので、買いおきの出来ない米なら米櫃は入りはしない。古道具屋のでも結構だから、入れるだけの米が買えるようになったら米櫃もお買いなさい。」
「へえ? どうもそれは、ちと腑《ふ》におちませんが――」
 彼女の嫁女《よめじょ》がそばから吹出していった。
「それはね、家で売った飯櫃《おはち》が、廻り廻って、何処《どこ》で売ってるかわからないので、気にしてらっしゃるのですよ。」
 壮士荻野六郎にはなおさら話がわからなくなった。すると、彼女の息子も笑って言った。
「俺《おれ》の失敗でね、おっかさん、子供の時の味噌樽式をやったのだよ。」
 こんどは荻野六郎にもほぼ解った。彼も吹出したい気持ちで話を誘った。
「俺が酒に酔って帰って来ると、ツベコベいやがって面倒《めんど》くさいから、蔵ン中へ叩《たた》きこんで大戸を閉めちゃったら、阿母《おふくろ》まで締めこんでしまって――」
 父はそれがくせの、左の手でやぞうをきめて、新進的代言人らしくもなく、ならずもののような巻舌《まきじた》で言った。
「祖母《おばあ》さんが厠《はばかり》へゆきたくなったとお言いだから、開《あ》けてもらいましょうというと、なに頼みなんぞおしなさんな、先方《むこう》から悪かったと開けにくるまで投《ほ》ったらかしておおき、干乾《ひぼ》しにすれば親殺しになるから、だまっていても明日の朝は開けにくるよって――」
 荻野六郎は、それで飯櫃《おはち》へやったのだなと、フ、とも、ウともつかないフウーという笑《わ》らいをうなった。用心のいい祖母は、他家へ火事見舞に、握飯《おむすび》ごと入れておくる新しい大きな飯櫃をつくらせておくのだった。それが、蔵の三階の棚にあるのを、勝手を知った彼はよく知っていた。
「だが、売ったのはしどいな。」
 そうはいったが、彼もそのほかの所置《しょち》はおもいつかなかった。
「なるほど、孫子の代まで、古道具屋の新らしい飯櫃は買うなと申しつけます。」
 彼は笑い笑い頭をさげた。

 世の中の物騒な時分、祖父母夫婦は奥蔵の二階に寝ていた。ある夜押込みがはいって、祖父《おじいさん》の頬っぺたを白刃《しらは》で叩《たた》いて起した。祖母は小さな声でみんな出してやれといった。祖父は階下《した》におりて金函《かねばこ》の前にすわったが、手が顫《ふる》えて手燭《てしょく》へなかなか火がつかなかった。
 祖母はその間に厠《はばかり》へゆくふりをして、すっかり家中《うちじゅう》を見てきた。外に見張《みはり》が一人いるのが蔵の二階の窓から月の光りで見えた。祖母がすっかりすましてきても、金箱の鍵《かぎ》があかないで、祖父は盗人《どろぼう》におどしつけられていた。
 だが、祖父《おじいさん》は祖母《おばあさん》を信頼している。早く出してやれといったが――祖父は頭の上の、階下《した》から荷物をあげおろしするためにつくってある簾《す》の子に、階下の様子を覗《のぞ》いている祖母の眼を感じた。一枚一枚丁寧に小判を出してやっていたが、そのうちに盗人の方が焦燥《あせ》ってきて早くしろといった。
 昔の金は重い。盗人が一足|外《おもて》へ出たと同時に、奥蔵の二階の窓から、激しく、せわしなく「火事だ火事だ」と金盥《かなだらい》を叩きたてた。それに応じて店でも騒ぎだした。火事早い江戸だから間髪《かんはつ》を入れず近所の表戸が開く、人が飛出す――
 盗人も火事だ火事だと怒鳴って逃げようとしたが、火元の方から逃出すものはない、取りかこんでくる人たちに、ものしたものを投げつけて逃げていった。
 その祖母が女のたしなみを、いかにも簡明に女中たちにも、子供たちにも共通にはなしてきかせるのだ。その中で、あんぽんたんの耳に残っているのは、祖父が蔵を建てようといった時に一戸前《ひととまえ》の金が出来たからと悦《よろこ》んでいったのを、
「も一戸前分の金が出来てからになさい。」
と祖母はいった。自分たちの働きの成績を、一日も早く、黒塗りの土蔵にして眺めたいと願っていた祖父は、明らかによろこばなかった。
 二戸前《ふたとまえ》分の金が集まった時に、祖母はまたいった。
「も一戸前分出来たらにしましょう。」
 さすが温順な祖父も、なぜだと訳をきかないうちは承知しなかった。
「ものは、思っていたより倍かかるものです。まして、長く残そうと思う土蔵《くら》を、金がかかりすぎるか
前へ 次へ
全7ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング