舎芦船《とうしゃろせん》といった加藤某は、世をすねて、風流文雅に反《そ》れた士である。高弟藤舎|芦雪《ろせつ》、またなみなみの材ではなかった。この後継者が早折《そうせつ》しなかったら、東流二絃琴はもっとひろまったであろうと惜まれていた。
芦船、芦雪は、歌曲ともに創作する力をもち、九十五曲を作りひろめた。この二絃琴の特長は粋上品《いきひとがら》なのである。荻江節《おぎえぶし》も一中《いっちゅう》も河東《かとう》も、詩吟も、琴うたも、投節《なげぶし》も、あらゆるものの、よき節を巧みにとり入れて、しかも楽器相当に短章につくったところに妙味があった。それゆえ初心者には解せぬ、いうにいえぬうまみを出すことに苦心があったわけである。で、あれもこれもと知りつくした、一流の手練《てだれ》の人たちがならいはじめてひろめた。重《おも》に中年者以上の、生活に余裕のある、ものの音《ね》じめをあげつろう輩《やから》であった。
よい衆の旦那、御内儀、権妻《ごんさい》――いき好みの、琴はどうも野暮くさいといった人が、これはいいと集まった。明治に生れた楽器である。八雲琴が素《もと》で、竹琴《ちっきん》、一絃琴など
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