って、煽《あお》ぎながら、畳んだ手拭の中をかえして頸《くび》を拭《ふ》いた。小判形の団扇《うちわ》が二本、今戸名物、船佐《ふなさ》の佃煮《つくだに》の折が出される。
「川崎屋までまいりましたから、これは私のわざっとお土産《みやげ》で。」
清さんの兄貴は、川崎屋権十郎の古い男衆だった。
こういう人たちは、中村座が閉場《あけ》ば中村座の何屋へ、新富座ならば何処《どこ》と、三、四軒の芝居茶屋を助けもするが、歌舞伎の梅林《ばいりん》とか三洲屋とか、一、二の茶屋で顔のうれている男衆たちだった。
「毎年|是真《ぜしん》さんでござんすから、今年は河竹さんのにお頼みいたしまして――」
それは団扇の絵のことだった。河竹さんとは、本所《ほんじょ》に住む黙阿弥翁《もくあみおう》のことで、二人娘の妹さんが絵をかき、姉さんはお父さんの脚本のお手伝いをした。
おしょさんの家《うち》には、そうした団扇に虫がつかないように、細い磨竹《みがきだけ》に通して、室《へや》の隅に三角に、鴨居《かもい》へ渡してあった。
「おしょさん、今年のお浴衣《そろい》は、大層|好《い》いっておはなしですから、夜《よ》芝居で、お浴衣
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