《ゆかた》見物でございますから、ひとつどうぞ、御見物を――」
 おしょさんは、今年も船で納涼の催しをと考えていたのをやめて、自慢の、その頃ではめずらしい素鼠地《すねずみじ》の、藤の揃い浴衣で見物することにきめる。
 二絃琴を拡《ひろ》めようとする気持ちと、おしょさんの派手ずきとから、引幕《ひきまく》を贈ることもあった。藤の花の下に緋《ひ》の敷もの、二絃琴を描いてあとは地紙《じがみ》ぢらしにして名とりの名を書いたりした。
 お坊さんのお婆さんは、――伊藤凌潮《いとうりょうちょう》という軍談読みの妻君になって、おしょさんや、おしょさんの姉さんで、吉原で清元で売った芸者――古帳面屋のお金ちゃんの義母《おっか》さんや、末の妹の、その時分には死んでしまってたが、阪東百代《ばんどうももよ》という踊りの師匠のお母さんになったのだ。おしょさんが若かった時、太政官の参内の馬車の腰かけの下へかくれていったと、やかましく噂《うわさ》された事もあったそうだ。お若い××様が御巡幸の時、百代と二人ならんだ姿をお見詰めになって――たしかにお目にとまったのだが、まだお歯黒をおつけになって、お童様《ちごさま》だったから
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