えて綾瀬の方まで涼風におしおくられてゆく。そして夕暗といっしょに両方がまた漕《こ》ぎよせてくる。両国橋の上下に――
 そのころ、五、六歳のアンポンタンの感想は――というとむずかしいが、おしっこのことだった。小船にはそういう設備がない。男の人は簡単にすませるが、といっても、まだ暮れきらない大川に、一ぱい船があってはそう勇敢な人ばかりはない。まして謹《つつ》ましいその時代の女たちの困りようは察しられる。岸近い船はわたりをかけて、尾上河岸《おのえがし》あたりのいきな家にたのむが、河心《かわなか》のはそうはいかない。気のきいた船頭が、幕や苫《とま》で囲いをして用をたさせると、まるで、源平両陣から那須与一《なすのよいち》の扇《おうぎ》の的《まと》でも見るように、は入る人が代るたびごとにヤアヤアと囃《はや》す。人間て、なんて癪《しゃく》なものだと、いって見ればそんな風にアンポンタンは片腹痛かった。
「おや? この子は笑ったよ、何がおかしかったのだ。」
 おじさんたちにはわからない。ちいさな、てんしんらんまんたる幼子だからこそ、赤ン坊でいえば虫が笑わせるといった笑い――この場合では嘲笑《ちょうしょう
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