れん》がかけてあって、紺地に大きく彩色したえびすだのほていだのがついていた。その頃|流行《はやり》たてだったであろう噴水があって大きな金魚がいた。だが、食《たべ》ものは簡単だ。お餅か、お団子位だ。浅草の金竜山にしてもあん[#「あん」に傍点]と、きなこ[#「きなこ」に傍点]と、ごま[#「ごま」に傍点]のついた餅、芝の太々餅《だいだいもち》もおなじくであり、大橋ぎわのおだんご、谷中|芋坂《いもざか》のおだんご、そのほか数えたらいくらでもあるが――
中洲は納涼にもってこいだから、川開きの時分の賑いは別段だった。夏祭りと両国の花火は夏の年中行事と市民にはなっていたのだろう、あんぽんたんも昼寝からむりに覚されて、行水の盥《たらい》のなかへ入れられ、お船へのせて花火を見せるからと、だましだましいやがるのに着物をきせられた。
あたしの家で船を仕立るのか――たぶん、前出の金兵衛おじさんの船が来ていたのだったろうと思う。まだ日の高いうちから、金兵衛さんが紺の透通《すきとお》った着物を着て、白扇《はくせん》であおいで風通しのいい座敷に座っていると、顔見知りの老船頭だの、大工の棟梁《とうりょう》のところ
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