大橋と、両国橋の間の中洲には、懲役人が赤い着物を着て、小船にのって土運びをしていた。女橋と男橋がかかって、土地開きをしたころの夏の人気は、人形町通りから、埋たての中洲へと集っていた。ただもうめちゃくちゃ[#「めちゃくちゃ」に傍点]に賑かだった。おでんやは鍋《なべ》の廻りに真黒に人が立ち、氷やは腰をかける席がないほどの繁昌《はんじょう》だ。氷やといっても今のように小体《こてい》な店ではない。なかなか広い店で、巾の広い牀几《しょうぎ》が沢山並んでいた。涼しげな、大きな滝を忍ばせる硝子《ガラス》の簾《すだれ》――聯《れん》がさがって提灯《ちょうちん》や、花|瓦斯《ガス》の光りが映《うつ》りゆらめき、いせいのよいビラが張りわたされ、ねじ鉢巻のあにいが二、三人手を揃えてガリガリ氷を掻《か》きとばしていた。小女が赤いたすきで忙《せわ》しそうに客の間を走っていた。
いま、デパートの食堂へゆくと、ふと思出すのは、様子はかわっているが、あたしの子供の時分の、えびすやとか、ほていやとかいった呉服屋や、そのわきにあった、おしるこや萩《はぎ》の餅《もち》の店のことで、店さきの高いところから、長い暖簾《の
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