くれたのもこの伯母さんだ。ヴィオリンの音《ね》や、ピアノや、オルガンの音をはじめて耳にしたのも伯母さんの住居へとまりにいったからだった。そのころ下町でそんな音色《ねいろ》も、楽器も知っているものはなかった。あんぽんたんは外国の匂《にお》いを、ここではじめて嗅《か》いだのだ。なぜなら神田は学問をする書生さんの巣窟《そうくつ》であり、いまでいうインテリゲンチャの群である。帽子をかむった人なんか、めったに見ない下町ッ子は、通る人がみんな白金巾《しろかなきん》の兵児帯《へこおび》をしめているのに溜息《ためいき》した。夕方は下宿屋の二階三階に、書生さんたちが大勢てすりに腰をかけていた。私は女がそういうふうをしているのを新宿(妓楼)で見たことを伯母さんにはなした。
南校《なんこ》の原《はら》でバッタやオートをつかまえて、牛が淵でおたまじゃくしを掬《すく》った。従弟《いとこ》とおまっちゃんと三人で、炎天ぼしになって掬ったが、入《いれ》ものをもたないで、土に掬いあげたのはすぐ消たように乾《ひ》かたまってしまった。三人は唾《つばき》をした。川の水に唾をして唾が散れば肺病ではないと、なにが肺病なのかよく
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