富座《しんとみざ》に時の大名優九世市川団十郎が「渡辺崋山《わたなべかざん》」をして、切腹の正念場の時、私は泣出したのだそうだ。父は私をかかえて家まで送って来て、折角のところを見そくなったとこぼしていた。そんな事は度々であった。私はかなり大きくなってからでも、芝居茶屋の二階に、ポツネンと、あねさまを飾ったり、ボンヤリ考えたりして一人で居残っていたことが多かった。
それより困るのは撃剣《げっけん》大会というようなところへ連れてゆかれる事だ。私の姪《めい》や甥《おい》がボート選手の古いのをお父さんにもって、その季節《シーズン》に連れてゆかれると、お父さんの熱狂奔走ぶりに悲しくなるといったが、私の父の撃剣の場合もそうだった。小《ち》っぽけな子供なんぞ袖の下にはいってしまって、父は桟敷《さじき》にがんばる。吃驚《びっくり》するような気合をかける。ト、ト、ト、ト、トッ、そら突け! と呶鳴《どな》る。私は縮みあがってしまって、父は殺されはしないかと思った。やがて自分も引っぱり出されてゆく。ゴチャゴチャになると、どれが誰だか分らないので、私は帰れるのかしらとベソをがまんしている。
国会開設前の時流
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