う》を頼んでいるものもあった。私はよく言われた、お前は、書籍《ほん》ばかりすきだと、ああいう人になるよと。
 小伝馬町の、現今《いま》電車の交叉点《こうさてん》になっている四辻に、夕方になると桜湯の店が赤い毛布《ケット》をかけた牀床《しょうぎ》をだした。麦湯、甘酒、香煎《こうせん》、なんでもある。このごろの芝居ではお盆でだすが、一人だと茶台《ちゃぶだい》――真中に穴のあるものでも出した。その廻りには、煎《い》りたて豆だの、赤に紫の葡萄《ぶどう》の絵を描いた行燈《あんどん》のぶどうもちだの、飴《あめ》やが並んだ。金米糖《こんぺとう》やもあった。金花糖やも人形町に店があって、招き猫は大小となく出来ていた。噛《かじ》るとガランドウとムクとあった。廻り燈籠《どうろう》や、ほおずきやが夜の色どりで、娘たちが宵暗《よいやみ》にくっきりと浮いて匂《にお》った。
 浴衣《ゆかた》と行水《ぎょうずい》が終日《いちにち》の労《つか》れを洗濯して、ぶらぶら歩きの目的は活動もなくカフェもない、舞台装置のひながたと、絵でいった芝居見たままの、切組み燈籠《どうろう》が人を寄せた。
 横山町や、薬研堀《やげんぼり》
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