あたりの大店では荒い格子戸の、よく拭き込んだのをたてて、大戸を半分だけおろして、打水をして見せていた。わざと店はあまり明るくはなかった。そして店はキチンと取りかたづけられて、誰も――小僧一人いはしなかった。そういう家の前を離れると、すぐ傍が黒い蔵であったり、木口のよい板塀であったりして、天水桶《てんすいおけ》や、金網をかけた常夜燈《じょうやとう》が灯《とも》っていたように覚えている。日本橋にはそういう古風なところが多く、いつまでも残されていた。
 燈籠の中味は、背景も人物も何もかもが切りぬいた錦絵《にしきえ》なのである。三枚つづき五枚つづき、似顔絵のうまい絵師のが絵草紙屋《えぞうしや》の店前にさがると、何町のどこでは自来也《じらいや》が出来たとか、どこでは和唐内《わとうない》の紅流《べになが》しだとか、気の早い涼台《すずみだい》のはなしの種になった。そしてよく覚えていないが、脚光《フットライト》などの工合もうまく出来ていた、遠見へは一々上手に光りがあててあった。曾我の討入りの狩屋《かりや》のところなどの雨は、後に白滝《しらたき》という名で売出した、銀紙のジリジリした細い根がけ(白滝とし
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