というのだ。そら引窓があいた! なんて、年|甲斐《がい》もなく妙な声を出すのもある。
 新内《しんない》が来る、義太夫《ぎだゆう》がくる。琴と三味線を合せてくるのがある。みんな下手《へた》ではない、聴《き》き巧者《こうしゃ》が揃っているからだ。向う新道の縁台でやらせている遠く流れてくる音を、みな神妙に聴入っている。生活に幾分余裕があったのでもあろうが、お三日《さんじつ》に――朔日《ついたち》、十五日、廿八日――門に立つ物乞《おもらい》も、大概顔がきまっていた。ことに門附《かどづ》けの芸人はもらいをきめているようだった。女太夫の名残りもあったのだろう。家によっては煙草《タバコ》の火をもらって話してゆくのもあった。琴三味線の合奏は老女が多かった。みなといってもよいほど旧幕臣のゆかりだった。縁日《えんにち》のはずれの方に、小さく敷ものをして、紙がとばないように小石をおいて、お家流の美事な筆跡で、すらすら和歌や詩を書いては、一枚書くと丁寧にお辞儀をする品のよい老女がいた。落泊《おちぶれ》ても手や顔に垢《あか》をつけていなかった。その前にしゃがんで、表札を書いてもらっているものや、手紙の上封《ふ
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