−84−27]《きょくろく》によりかかり、高脚《コップ》のお酒を飲みながら腕を裂かれていた。
木魚のおじいさんが助手で、膿盤《のうばん》は幾個もとりかえられた。強い消毒薬のかざは流れてきたが父の苦痛はすこしも洩《も》れず、よく堪《こら》えている様子だった。私はハラハラした。障子の硝子《ガラス》の隅から細く覗《のぞ》いたが、父の姿は見えず、向うの欄間にかけてある、誰が描いた古画か、関羽《かんう》が碁盤を見つめている唐画が眼に来た。父のこの大|怪我《けが》もばからしい強がりから、爪でひっかかれたのだった。それも猫でも子供でもなく、父の部下のような若い代言人たちだった。鴎洲館とかいう、蔵前代地の、お船蔵近くの大きな貸席で、代言人の大会があった時、意見があわないとて、父の立つ演壇へ大勢が飛上って来て、真鍮《しんちゅう》の燭台で打ちかかるものや飛附いてくるものを、父は黒骨の扇――丁度他家からおくられた、熊谷直実《くまがいなおざね》の軍扇を摸したのだという、銀地に七ツ星だか月だかがついていたものだ――をもっていて身をふせいだのを、撃剣《げっけん》の方の手がきいているので鉄扇《てっせん》をもってい
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