いる※[#「◯」の中に「十」、屋号を示す記号、231−1]《まるじゅう》芋屋の横腹、金物問屋|金星《かねぼし》の庭口、仕立屋井阪さん、その隣りも大丸の仕立屋さん、猫ばあさんのいた露路口、井阪さんが丁字髷《ちょんまげ》で、ここの親方はへッつい[#「へッつい」に傍点]という髪《あたま》の見本を見せておいてくれた鍛冶屋《かじや》さん――表に大きな船板の水槽があって、丸子や琉金《りゅうきん》の美事なのが沢山飼養されていた。鍛冶屋の店さきには、よくこうした水箱があったがあれはなんのためだろうか、刀鍛冶などの流れの末とでもいうしるしなのかどうか。その隣りが芝居や、講談などにある、芝日影町の古着屋で、嫁入着物に糊附《のりづ》けものを売ったため、嫁御寮《よめごりょう》の変死から、その母親が怨みの呪《のろ》い「め」と書いては焼火箸《やけひばし》をつきさしていたという、怪談ばなしの本家江島屋の、後家になった娘のすんでいた格子戸づくり、それからどこかの荷蔵があって、丁度滝床の向うが、吾平さんという馬具屋であった。
吾平さんは顔の大きな、鼻も大きな、眼のちいさい人で、たっぷりした白髪をなでつけ、大きな鼈甲《
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