は、藤島さんという、伯父には長官にあたる造幣局のお役人のお宅があった。竹柏園《ちくはくえん》佐佐木信綱《ささきのぶつな》先生の夫人《おくさま》がそこのお嬢さんだった方だ。伯母の家の前、門のきわの竹の垣根に朝顔が咲いている家からはいい音がきこえていた、琴のこともあればヴィオリンの時もあった。幸田さんという、女でも偉い方で、一生懸命に勉強してお出なさるのだと、伯母はそのお家の前で鬼ごっこなんぞしていると叱っていった。あの有名な音楽家である幸田延子女史と、安藤幸子女史御姉妹のお若いころのことであった。
南校《なんこ》の原《はら》とは、大学南校のあった跡だと後に知った。草ぼうぼうとして、ある宵《よい》、小川町の五十稲荷《ごとおいなり》というのへ連れてってもらった帰りに、原で人魂《ひとだま》というのを見た。
外国人の大きな曲馬団が来て、天幕を張り、夜になると太い薪《まき》を積みあげて炎をたてるのが、下町そだちの子供に、どんなにエキゾチックな興趣《おもむき》を教えこんだであろう。私は曲馬を見るよりは、その天幕ばり全部を見るのを楽しんだ。父が来て、伯母の一家みんなと見物にゆこうとしても、私は外景
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