った。たしか一つぶしかついていなかったが、あたしが凝《じっ》と眺めていると、父が気がついて、自分のお皿の中からとって、あたしの白いお皿の、青いものの上にのせてくれた。すると、村田さんもおなじように、近眼鏡を近よせて、転がさないようにナイフの上に乗せてよこした。
それがあたしの、苺《いちご》のみはじめだったのだ。食べはしなかったが、その赤さは充分に私を悦《よろ》こばせ、最後までそのお皿をとりかえさせなかった。
「おかしな奴だ、気にいったら見ているばかりで、他のものも食わなくなっちゃった。」
父は帰ってからそういった。その癖がついて、洋食は大きくなるまで食べないで、手をつけないで、きらいではない習慣をもった。
赤大根を知ったのもそれに似よっている。十ばかりの時、クリスチャンの伯母夫婦――台湾のおじさん――が、神田|南校《なんこ》の原《はら》の向う邸《やしき》の中にいた時分、官員だったので洋室の食堂をもっていて、泊りにゆくと洋食が出た。従弟《いとこ》と私の妹おまっちゃんと三人で、赤大根を見た時、お皿の上で、葉をつまんで独楽《こま》のように廻した。黒い立派な大きな門をもったこの邸の構内に
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