、当然驚かなければならない医者が平然としていた。
父はお玉ヶ池の千葉について剣を学び、初期の自由党に参加した血の気が、まだおさまらなかったのであろう。友達たちも自然荒武者だった。その中に、親友であって法律の先生である村田電造という人があった。神田|猿楽町《さるがくちょう》に住んでいた。黄八丈の着物に白ちりめんの帯をしめて、女の穿《は》く吾妻下駄《あずまげた》に似た畳附きの下駄へ、白なめし[#「白なめし」に傍点]の太い鼻緒のすがったのを穿いていた。四角い顔の才槌頭《さいづちあたま》だった。静かにお茶を飲んだり、御酒をのんだりしてはなしていた。
ある時、あんぽんたんが六才か七才だったろう、初夏に、このおじさんと父との真ン中に手をひかれて、鎧橋《よろいばし》のたもとの吾妻亭[#「吾妻亭」に傍点]という洋食やへいった。おさな心に残っているのは皎々《こうこう》たるらんぷと、杉の葉と、白い卓《テーブル》クロースだった。杉の葉は日本風の家を何か装飾したものであったろう、ブランデーをかけて火を燃すオムレツも珍らしかったが、私の眼に今も鮮かにくるのは赤いツブツブのある奇麗な小さな丸《まあ》るいものだ
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