出してやる。店の方でも細君の方に沢山仕事をさせたいので、機嫌をとっておいてくれるので、それでも三日目位にはあきてしまうのだと言った。
 藤木さんはその頃が貧窮のどん底だったが、細君の前だけでは、封建的殿様ぶりを発揮して、怒鳴ってばかりいた。蜜柑《みかん》箱にキンタマ火鉢を入れたのが長火鉢かわりの生活《くらし》でいて、
「貴様なんぞはボテイフリの嬶《かかあ》にでもなれ。」
というのが口癖で、魚売《さかなや》は自分よりよほど身分違い――さも低級でもあるように賤《いや》しめて罵《ののし》る習慣《くせ》があったのだ。貞淑な細君は、そんな事を言われても尤《もっと》ものように押だまって辛棒強く働いていた。手跡はお家流をよく書き、腰折れの一首もものし、貧乏の中に風流を解するゆとりもあり、容貌《きりょう》は木魚の顔のおじいさんの娘なりに、似てはいたが醜くはなかった。
 娘のおあさは色の黒いところと、人のよい正直者の表標のような光りをもつくせに、ちょいと見は鋭く見える眼つきを父親からもらって、母親からは祖父ゆずりのお出額《でこ》を与えられた。髪の毛の濃い小ぢんまりした小さな娘だった。
 ある日、藤木夫妻
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