ば》にいった事はないし、臆病な私は怖《こわ》かった。若いキリリとした女房《おかみ》さんが、堀井戸に釣るしてあった鑵《かん》からコップへ牛乳を酌《く》んでくれた。濃い、甘い、冷たい牛乳だった。
「お砂糖がはいっているよ。」
と私が悦《よろこ》んでいうと、おかみさんとお亭主が笑っていった。
「お砂糖はいれてないけれど、絞りたての甘《うま》いのをあげたのさ。」
 こんな風《ふう》におばあさんはよく私を連れて他家《よそ》へいった。私が本を読みたがると、何処《どこ》からか聞きだしてきてくれて、私を貸本屋へつれてゆくといった。
 毎日二時過ぎると小さなお釜《かま》でお湯を湧《わか》して、盥《たらい》へ行水のお湯をとってくれた。私は裏からも表からも見透《みすか》しの場処でのんきに盥の中へ座る。雨蛙にもお湯をぶっかける。大きな山|蟻《あり》が逃出すのを面白がる。或《ある》時は蟇《ひきがえる》と睨《にら》めっこしながら盥の中にかしこまっている。涼しい風にくしゃみをするとおばあさんが声をかける。
「さあ、もういいよ。」
 汗知らずをまだらにはたきつけて貸本屋さんへ出かける――
 貸本屋も御隠居処なのである
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