いけないさ、君のお父さんなんか、剣が利いたからたいしたものだ、剣の方じゃどうして立派な手腕《うでまえ》だったそうな。今だってなみたいていなものは前へ廻れまいさ。」
「釜さんて誰のこと。」
「榎本武揚《えのもとたけあき》って人があるだろう。」
「ああ、知ってる。」
「あの人のちいさい時分には、家が貧乏で――はて、彼処《あすこ》は何人|扶持《ふち》だったけかな? 根岸の奥でね、藪《やぶ》のある、門に大きな樹《き》のあった家さ。釜さん、遊ばないかったって返事もしやしない。子《し》のたまわくだ。なにしてやがるかと思って、破《やぶ》けた窓の障子から覗《のぞ》くとね、ポンポチ米を徳久利《とっくり》で舂《つ》きながら勉強してやがるんだ。使いにゆく時だって破れ袴《はかま》をはいてね、こちとら悪太郎の仲間になんかはいらねえで、いやに賢人ぶった子供だったよ。ヤイ釜公、どうして遊ばないんだと怒鳴ってもだめ。みんなで石っころを投《ほう》りこんで逃出すんだ、そりゃね、時には、外《おもて》でいじめたこともあるさ。だけれど、その時|敗《ま》けて泣いた奴の方があんなに偉くなって、わしゃチンコッきりだ。わしゃかなしい。
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