、私に印象させた長茄子のおばさんだったのだ。
 ある時、急に社会が外面的に欧化心酔した。それは明治十八年頃のいわゆる鹿鳴館《ろくめいかん》時代で、晩年にはあんなゴチゴチの国粋論者、山県元帥《やまがたげんすい》でさえ徹宵ダンスをしたり、鎗踊《やりおど》りをしたという、酒池肉林《しゅちにくりん》、狂舞の時期があった。吉原|大籬《おおまがき》の遊女もボンネットをかぶり、十八世紀風のひだの多い洋服を着て椅子に凭《よ》りかかって張店《はりみせ》をしたのを、見に連れてゆかれたのを、私はかすかに覚えている。わが日本橋区の問屋町は、旧慣墨守《きゅうかんぼくしゅ》、因循姑息《いんじゅんこそく》の土地だけに二、三年後にジワジワと水の浸みるようにはいって来た。でも私はびっくらした事がある。ある日、家へ帰ってくると、知らない顔のお母さんがいる。それが毎日の通り、ちっともちがわないお母さんらしい事をしてくれるが顔がどうも違うのだった。なぜなら母の顔は眉毛《まゆげ》がなくって薄青く光っていた。歯は綺麗に真黒だった。それなのに、目の前に見る母はボヤボヤと生え揃わない眉毛があって、歯が白くて気味が悪かった。彼女はまた
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