うべ》から寝ないものもキョトンとしてそのままで手をつかねている。沖では船頭が寒がっている。二人の比丘尼《びくに》隠居のところからはせっせと使いがくる。
夏の日は大川の船の中で昼寝をするのがならわしだった。髪を洗ってから、ちりめん浴衣で、桟橋につけさせてある屋根船《ふね》へ乗る。横になりながら髪を煽《あお》がせるのだ。そうした大名にも出来ない気ままが、家のうちに充満して、彼女の笥《くしげ》には何百両の鼈甲《べっこう》が寝せられ、香料の麝香《じゃこう》には金幾両が投じられるかわからなかった。現今《いま》の金に算して幾両の金数《きんす》は安く見えはするが、百文あれば蕎麦《そば》が食えて洗湯《ゆ》にはいれて吉原《なか》へゆけたという。競《くら》べものでないほど今日より金の高かった時代である。
とうとう三菱が起り、三井が根をなし、旧時代の廻米《かいまい》問屋石川屋に瓦解《がかい》の時が来た。
残りの有金《ありがね》で昔のゆめを追っているうちに、時世《じせい》はぐんぐんかわり、廻り燈籠《どうろう》のように世の中は走った。人間自然|淘汰《とうた》で佐兵衛さんも物故した。そのあとの挨拶に来たのが
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