て(浅草|猿若町《さるわかちょう》にあった三座の芝居へは多く屋根船《ふね》か、駕籠《かご》でいったものである)、炬燵《こたつ》を入れ、縮緬《ちりめん》の大座布団を、御隠居さんの分、隠居さんの分、御新造さんの分と三枚運ぶ。御隠居さんと御《ご》の字のつくのが石川氏の母親のことで、御の字のつかない方のが娘のために引きとられて楽隠居をしていた、湯川老人を捨てたお母さんであった。二人とも向う河岸の、中洲よりの浜町に隠居しているのを誘って乗せてゆくのだった。この女《ひと》たちも花菊夫人におとらぬ気随《きまま》な生活であったであろうが、頭の方は坊主だったから芝居行きに泣き喚《わめ》きはないから無事だが、母屋《おもや》の内儀の方はそうはゆかない。合せ鏡に気に入らない個所でも後の方に見出すと、すぐ破《こわ》して結い直しである。それも髪結いさんが帰ったとなると、撫《な》でつけがうまいので髪のことだけは気にいっているお手許使いの姪《めい》のおたきがよばれるが、もともと機嫌を損じているのだから泣かされるまで幾度も結い直させられる。そうなると芝居なんぞは何時からでもよいとなる。お風呂ははいり直しである。昨夜《ゆ
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