かして大家《たいけ》の御内儀《ごないぎ》としたのが廻船問屋石川佐兵衛だった。
中沢氏が湯川氏となって、遠州お前崎から働きものの二女を連れてくると、一躍して位置のかわってしまった金持の御内儀花菊さんは、働きものらしい娘を、手許《てもと》で召使ってやろうと言出した。湯川老人もその店で仕事をもつようになったので、彼にいわせればなんとも致しかたがなかったのだ。私の母は彼女づきの小間使いに任命された。
大根おろしのように、身を粉にして動くことを、無益《むだ》も利益もなく、めちゃめちゃに好んだ壮健至極な娘でさえ、ばかばかしいと思ったほど酷《こ》き使った。行処《ゆきどころ》のない身寄りだから逃げてゆかないという信状で、驕慢《きょうまん》の頂上にいた花菊は無理我慢の出来るたけをしいた。無論他の者へも特別優しかったわけではない。
彼女が芝居見物の日は、前の晩から家中の奥のものは徹宵《てっしょう》する。暁方《あけがた》に髪を結ってお風呂にはいる。髪結は前夜から泊りきりで、二人の女中が後から燈をもっている。他の女中は蒔絵《まきえ》の重箱へ詰めるあれこれの料理にてんてこ舞をするのだった。早くから船は来
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