和にくらした。
海上暴風雨《しけ》のためにいつもは房州へはいるはずの、仙台米の積船《ふね》が、鰯《いわし》のとれるので名高い九十九里《くじゅうくり》の銚子《ちょうし》の浜へはいった。江戸仙台藩の蔵屋敷からは中沢|某《なにがし》という侍が銚子へ出張した。
中沢という侍は、幕臣湯川金左衛門邦純とならない前の、木魚の顔のおじいさんの姓である。
浜方は船が一|艘《そう》這入《はい》っても賑わう。まして仙台米をうんと積んだ金船が何艘となくはいってきたのだ。もともとお蔵屋敷の侍《もの》といえば、武士であって半《なかば》町人のような、金づかいのきれいな物毎《ものごと》に行きわたった世|馴《な》れた人が選まれ、金座、銀座、お蔵前などの大町人や諸役人と同様その時分の社交人である。十人衆、五人衆、旦那衆と尊称され、髪の結いかたは本田髷《ほんだまげ》細身の腰刀《こしのもの》は渋づくりといったふうで、遊蕩《ゆうとう》を外交と心得違いをしていた半官半商であった。それらの侍たちや蔵前町人の豪奢《ごうしゃ》を幾度《いくたび》か知っている浜のものは、鯨が上《あが》ったように悦んだ。
だが、ある夜《よ》の中沢氏
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