かぶせた三本足の竹の棒に神の来向を信じ、そら、足をあげた、ハイとおっしゃったとはしゃいだ。そのあとが天理教だった。
天理教も大本教とおなじく、中山おみきさんという中国辺田舎のおばあさんが教主で、神田|美土代町《みとしろちょう》に立派に殿堂をしゃにかまえてしまった。これは信者の婦人が楽器《なりもの》入《い》りで、白装束《しろしょうぞく》、緋《ひ》の袴《はかま》、下げ髪で踊るのだった。なにしろ物見高い土地だから人だかりはすぐする。
勝川おばさんが隠れてから十年もたったある日、大丸の向側の家で天理教の踊りがあった。私の下の方の妹たちが通りかかりに覗《のぞ》いて見たら、広い店中祭壇にして、片側に楽人がならび、明笛《みんてき》だの、和琴《わごん》だの交って、その中には湯川一族の、鉱山から逃出して帰って来た連中たちの顔が見えた。もっとよく見ていると、緋の袴で踊る少女が、あの戸板店《といたみせ》のおせんべ屋夫婦の二女だったので、母に聞えては悪いもののように、帰ってきてからそっと私にだけきかせた。
「そうっといって御覧なさい。今ならまだやってる。」
だが、あたしには見にゆけなかった。言わなくても
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