が、娘は一層狂暴に泣出した。母親は困って小さな私に救いを求める笑《えみ》を送った。
 私は駈《か》けてかえって祖母《おばあ》さんに訴えた。祖母さんはだまって白い台紙に張りつけた、さんご珠《じゅ》まがいの細かい珠《たま》のついた網を求めさせてくれた。お桝さんは満足だったが、宅の母の方が、それきり束髪を止《や》めさせられた。私の心の中で、母には似合わないと思っていたから、よしたので安心した。

 勝川のおばさんが日本橋区へ進出して来たのはそれから二、三年たってからだった。新道つづきの中《なか》一町をへだてた、私の通った小学校のあった町内の入口近かった。一間半ばかりの出窓をもった格子戸づくりの仕舞《しも》た家《や》で、流行《はやり》ものを教えるには都合のよい見附きだった。夏は窓に簾《すだれ》をかけ、洋燈《ランプ》をつけ、若い男女が集まって月琴や八雲琴をならっていた。窓には人だかりがしていた。近くなったので勝川おばさんは涼みながら来ては、蛇三味線《じゃみせん》を入れるの、明笛《みんてき》も入れるのと話していた。彼女には、漸《ようや》く昔の賑やかな生活の色彩に、調子はかわっていても、帰ってゆくの
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