が晩にもってあがろうと思っておりましたって――ひょっとこが余計なことを言っちまうから……」
 それでも縁側まで薬をもって来て渡してくれた。
「巌夫《いわお》、巌夫。」
 面胞《にきび》が一ぱいな、細長い黒い顔、彼らの一人息子で、父六郎と同職業のいささか新智識であるところの少年と青年の合《あい》の子《こ》が、母親譲りの、細い小さな眼をもって、赤いシャツを着て出て来た。
「嬢《じょっ》ちゃんのお供をして、お前、おふくろさんに薬を一度お見せもうして、それからすぐに御病人のところへもってっておあげ。」
 閑却されて、使者の役目まで忰《せがれ》に奪われた壮士は、撫然《ぶぜん》として忰に命令した。
「いちどきでは、せいが強すぎるというんだぞ。」
「よけいなことをお言いなさるな。」
 彼女はグッと睨《ね》めた。あたしが帰る時はもう、彼女は物干棹《ものほしざお》で庇《ひさし》の上の猫どもを追いはらっていた。

 巌夫は道々、半紙を四つ切りにしたのに包んだ、一服の薬について、いかにそれが霊薬《れいやく》であるかを話してきかせてくれた。多分の誇りをもって、そうした霊薬を手に入れる苦心を繰返していった。
「我々が忠義なんだね。」
 彼は子細らしく額にたらした、油でピカピカ光った毛を振りあげた。
「どうして手に入れたかとなると話が大変だが、我々は若先生にしようと思う、大学に学んだ人をあのまま殺すに忍びないからね。もう半年で卒業っていうんじゃないか。」
 それから言った。女の子なんか、鰻《うなぎ》ならメソッコみたいなもので話にならぬと――それからまた声を秘《ひそ》めていった。
「肺病には死人の水――火葬した人の、骨壺《こつつぼ》の底にたまった水を飲ませるといいんだが――それもまた直にくる事になっている。これは脳みその焼いたのだよ。」
 あたしが真青にでもなったのであろう。彼は近々と顔をよせて、小さな眼を凄《すご》めに細めて、怪談じみていた。
「僕の母は――お寺の隠亡《おんぼう》と知っているのだ。」
 巌夫は十六位ででもあったのだろう。両親がうまく取入っているので、玄関の書生は絶対におかない家なのに、何時《いつ》の間にかいるようになった。神田あたりの法律学校へ通うのに、例の赤いシャツ、夏は白シャツ一枚で小倉《こくら》の袴《はかま》を穿《は》くので、横っちょから黒い肉が覗《のぞ》きだすので子供た
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