のところどころに間口があり、そのほかは上部だけ扉があがって、下部は土で塗ってあった。大戸の上げおろしが、あの広い間口では大変だったせいもあろうが、その中側が一軒以上ぐるりとタタキになっている土間だった。老母の覚書にもある通りの紙の名札が、高い欄間《らんま》から並べて張ってあったが、それは店さきの畳からは、三間以上も奥の方だった。角の大黒柱を中にして、座りどころにも位置があるらしく、甚四郎、才助などと書いた両側に専属の小僧の名が、三ツも四ツも並べて書きつけてあった。
店さきの諸所に、小切れをいれた箱が据《すえ》てあった。あたしの祖母は連合《つれあ》いが呉服の御用商人であり、兄がやはり絹呉服の御用商であった関係か、大丸とはゆかりがありげであった。あたしたちがよい事をしたおりや、若い娘客に何か与えたくなったおり、ちょいと曳裾《ひきずそ》のおつまをとって出かけてゆくさきは、いつも大丸だった。彼女がはいってゆくと、誰かしら顔を見た番頭が立って来て、小切れ箱から絞《しぼ》りばなしをつまみ出した。赤いのや、濃い紫や、浅黄のが取りだされて八釜《やかま》しぼりとか、麻の葉とか、つのしぼりとか、赤の黄上
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