いってもよい場処の大呉服店に、そうした窓が、しかも一丁の半分以上をしめて金網が張りわたされていたという事実がある。それはあたしも子供心に知っていた。盗品をおそれるのだといったが、それならば台所の窓にまでしなくってもよいはずである。外からの盗人を怖《おそ》れたのではない。
 理屈はやめて、大丸はその近所の者にとって、何がなし目標点だった。物珍らしい見物《みもの》があれば、みな大丸の角に集まってゆく。鉄道馬車がはじめて通った時もそうなら、西洋人が来たと騒いで駈附けるのも大丸であるし、お開帳の休憩もそこであった。アンポンタンが知らない時分の大丸は、神田から出た北風《ならい》の火事には、類焼《やけ》るものとして、蔵《くら》の戸前《とまえ》をうってしまうと店をすっかり空にし、裸ろうそくを立てならべておいたのだという、妙な、とんでもない巨大《おおき》な男店《おとこだな》だった。
 大丸は大伝馬《おおでんま》旅籠《はたご》町から大門通りへ折れまがって裏まで通った、一丁の半分以上を敷地にして幾戸前かの蔵と店とで、糸店《いとだな》によった方に広い土間があった。表附きは明《あけ》っぴろげではなく、土蔵造り
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