げのだとか、種々な鹿《か》の子《こ》絞りにも名のあるのをあたしは知った。祖母はその二、三種を、手ごろな有りぎれのまま、ザクリと手にさげて帰る――あたしたちの目はかがやいたものである。その裂《き》れ地が、もらった嬢さんたちの結綿島田《ゆいわたしまだ》にもかけられ、あたしたちの着物にもじゅばんの襟にもかけられた。帯にもなった。
 ある日、大丸に大変な人だかりがした。西洋人《とうじん》が買物に来ているのだという。いってみると、太い赤い頸《くびすじ》に金茶色の毛がモジャモジャしている、眼鏡をかけた男と、キチキチした、黒っぽく光る上衣《うわぎ》に、腰の方だけ沢山ひだを重ねて広がった服をきている、意地のわるそうに尖《と》がった、茶色の眼の、狐《きつね》のような女が、ボンネットをかぶって、見物にかけつけたものを睨《ね》めかえしていた。小さくて痩《や》せている犬をつれていた。子供の目にも、今思いだしても、決して上品なよい人柄とは思えなかったので、ものめずらしくはあったが、なんとなくこの西洋人《とうじん》を軽蔑した。その時分、黒いやせた、茶色の斑点が額にコブのようにある洋犬《いぬ》をカメと呼んだ。だが、そのおり人々が口にしたカメは、連れていた小犬ではなく、どうもその女の方をさして呼んでいた様子だった。西洋人《けとうじん》も傲慢《ごうまん》だった。泥靴のままで畳の上へ上っていった。
 お正月元日は、大戸の上がところどころ明けてあった。お茶番のいる広い土間の入口の潜《くぐ》り戸をはいってゆくと、平日《いつも》に増してお茶番の銅壺《どうこ》は煮《にえ》たち、二つの茶釜《ちゃがま》からは湯気がたってどこもピカピカ光っていた。すぐ前の別座になっている、大格子の中が大番頭や、支配人や、一番番頭のいるところだった。頭の上の神棚にもお飾りが出来てお燈明《とうみょう》が赤くついている。そこの前の大飾りは素張《すば》らしい鏡餅《かがみもち》が据えてあった。海老《えび》もピンとはねていた。
 夜があけるとすぐ羽根の音である。いつも番頭の並んでいる区画に、ずっと金屏風が――立派な画のもある――が廻《めぐ》らされて、そのうち側で羽根をつくのだが、それは朝のうちだけのことで近所の女たちが、見物に出かける時分には、屏風の前の方へ出てきている。小僧も、若者も、番頭も入交《いりまじ》りで、ゆかりのある家の女供や近所の
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