ごっこで恐縮していた人で、このおとなしい先生を子供たちまでが、校長と一緒になって気持ちでさいなんだ。士族上りの先生は弱げで、細い鼻のさきが、いつも冷たそうに赤ばんで、水鼻がうるんでいた。色白の女のように色の白い人で、お能役者のような摺足《すりあし》で歩いて、小倉《こくら》の袴《はかま》を引きずり、さほど年もとっていないのに背中を丸くしていた。よほど困窮していたと見えて、初めての日の中食《ちゅうじき》に、竹の皮へ包んできた握飯《おにぎり》と梅干をつまんで食べたので侮ってしまったのだった。千住《せんじゅ》から歩いて来るので、朝早くから出るのに、雨が降ると草鞋《わらじ》を穿《は》いていた。秋山先生の弟子煩悩は大変なもので、ある折、市の聯合の大運動会が、桜の盛りの上野公園で催された。小さいながら代用学校と認められて参加を許されたのだから、先生は宇頂天《うちょうてん》なほど悦んで、一層空地の鬼ごっこや旗とりが奨励《しょうれい》された。その日は区内の細かい学校が一かたまりになって、大きな公立小学校に対抗するので、源泉学校と染めた旗も出来上った。女の子は赤い緒《お》の草履《ぞうり》、男の子は白い緒の
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