元禄《げんろく》年間に建った表町通りの紙店《かみや》の荷蔵がある。その裏の何かを取りはらって空地が出来た時、どんなに児童たちはよろこんだかしれない。向うの方に青い樹《き》が五、六本、教室の窓の竹格子にむかって柘榴《ざくろ》の花がまっかだった。両側が土蔵と土蔵で、突当りが塀で他家《よそ》の庭木がこんもりしていた。
子供たちは鬼ごっこで無中になったが、なかで一番|大童《おおわらわ》なのが校長秋山先生だった。先生は運動場をもったことと、子供たちが悦《よろこ》ぶのとで欣《よろこ》びが二倍であったと見える。お附合《つきあ》いで困ったのが通いの先生だった。この通いの先生は――初め来たのは若い人で、この商業町に、というよりその頃はまだ法律家などは珍らしかったものと見えて、私がそういう家の子だと知ると、特別にあつかいはしなかったが、少し待ってお出《いで》といって、家の角まで送って来てくれた。何か家のことでも聞いたりしたのかも知れないが覚えていない。ある日秋山先生が訪ねてきて、父と長く咄《はな》していたが、それは私を送ってくれる先生が書生にしてくれといったのだとあとで聞いた。
その次に来た先生が、鬼
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