《きび》しくしてくれと頼んでいる様子だった。
おまっちゃんは強情だった。二人がお灸《きゅう》を据えられるとき――私の家では、一日に二度も三度もお灸の出る時があった。甚《はなはだ》しい時は、お灸を据えられて後泣《あとな》きをいつまでもしているからといってはまた据えられた。灸は薬だからと、灸好きの祖母が許すので、疳癪《かんしゃく》もちの母は、祖母へ対して不服な時も、父へ対して不満なときも、子供の皮膚を焼いた。痩《や》せた女《ひと》の股《もも》ほどもある腕をもっている体格の、腕力の強い母親だった。ドサリと背中へ乗りかけられてしまうと、跳返《はねかえ》すことなどは出来なかった。妹は秘蔵っ子だったが、それでも仕置の時だけは別で、強情な彼女は腕を脱《ぬ》いたりして、小伝馬町の骨接《ほねつ》ぎの百々瀬《ももせ》へ連れてゆかれた。ある夏の夕方、彼女が麦藁帽《むぎわらぼう》をかぶって、黄麻《こうま》の大がすりの維子《かたびら》を着て、浅黄ちりめんの兵児帯《へこおび》をしめて、片腕ブラリとさせて俥夫《しゃふ》の松さんに連れられて百々瀬へ行く姿を、あたしは町の角で、夕霧《ゆうもや》にうすれてゆくのを見送り
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