さんが太鼓《たいこ》をたたき、女のひとが三味線を弾いて、祖母が踊りはじめました。子供は行くのでないといわれて、そっと梯子段《はしごだん》のところから覗《のぞ》いていると、しまいには二人の老人が浮れて、伊勢|音頭《おんど》を踊っているかげが、庭にむかった、そとの暗い廊下の障子にチラチラと動いていました。その手ぶりのよさ――わたしは最近伊勢の古市《ふるいち》までいって、備前屋で音頭を見せてもらいましたが、とてもとても、幼目《おさなめ》にのこる二人の老人のあの面白さは、面影も見ることが出来なかったのです。
 こんな事を書いたらまだいくらもあるでしょうが、町で生れた子には、自然からうけた印象のすけないことがものたりません。

 利久の納屋はあたしの家の物置と一ツ棟《むね》で、二ツに仕切って使っていた。丁度庭裏の井戸のところに窓があって、井戸をはさんでの釜場《かまば》になっていた。
 激しいコレラの流行《はや》った最終だというが、利久はお媼《ばあ》さんがコレラで死ぬとすぐに倒産《つぶ》れた。万さんという息子は日雇人夫《ひようとり》になったが、そののち、角の荒物屋へ酔って来ていた。焼酎《しょうちゅ
前へ 次へ
全24ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング