(新吉原)も爪をくはへちりをひねる。
[#ここで字下げ終わり]
と「紫《むらさき》の一本《ひともと》」にはあり、天明ごろの「蜘蛛の絲卷」には、
[#ここから1字下げ]
 昔は江戸に飯を賣る店はなかりしを、天和の頃始めて淺草並木町に奈良茶飯《ならちやめし》の店ありしを、諸人《しよにん》珍らしとてわざわざゆきしよし、近古《きんこ》のさうしに見えたり。しかるに都下《とか》繁昌につれて、追々食店多くなりし中に、明和のころ深川洲崎の料理茶屋は、升屋祝阿彌《ますやしゆくあみ》といふ京都風に傚《なら》ひたるべし、此者夫婦の機を見る才あり、しかも事好、廣座敷、二の間《ま》、三の間《ま》、小座敷、小亭、又は數奇屋|鞠場《まりば》まであり、中庭《なかには》推して知るべし。雲洲《うんしゆう》の隱居|南海殿《なんかいどの》、次男雲川殿、しばしば遊びたまへり。此處殿は、其ころ大名の通人《つうじん》なり。諸家の留守居、府下の富高の振舞、みな升屋定席、その繁昌比すべきなし。
[#ここで字下げ終わり]
といつてゐる。洲崎は春は潮干狩、冬の月には千鳥と風流がられた。
 江戸人は風流心のないといふことを恥辱としたが、風流
前へ 次へ
全19ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング