といふ字は風と流れだ。隅田川筋を唯一の極樂地とし、郊外散歩と遊蕩と社交をかねた人達に、なんとぴつたりした字であらう。
幕末《ばくまつ》、天保のころになると、江戸繁昌記深川のくだりには、
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大川横川、名所小航の便、施舫客船日夜織る如し
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とある。巽巳藝妓《たつみげいしや》の侠《きやん》な名や、戲作者|爲永春水《ためながしゆんすゐ》述るところの「梅暦《うめごよみ》」の色男丹治郎などは、つい先頃までの若者を羨ましがらせた代物《しろもの》だ。その狹斜が生んだ、江戸末期的代表デカタンが丹治郎だ。
江戸の大火は、明暦後《めいれきご》も度々あつたのに、どうしたことか兩國橋がとりはらはれたことがある。それは橋が出來てから廿二年後のことだつた。しかし、また直に再營された。
芭蕉が、
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名月や門へさしくる潮がしら
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と吟じ、深川に住つてゐたのは元祿のころだつた。三派《みつまた》に新大橋がかかつたとき
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ありがたやいただいてふむ橋の霜
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の句がある。この三派《みつ
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