川風に吹きさらされ、大川に鳴り響き、江戸中の曉の夢を破る櫓太皷が、とても地元の者の元氣を皷舞したのだ。一たいに色彩や、音響や、光りに缺けてゐた時代に、櫓太皷の破れるやうな強い音とか、花火の爆發とか、暗い空に開く火傘――といつたものは、光りと音響と色彩に麻痺しつくした近代人の、考へてやれないほど特種の魅力だつたに違ひない。
 だが、江戸の都市美には田園風景を多分に抱へこんでゐた。いま、江戸憧憬者が惜がるのは、都の中にあつた田園水郷の風趣が、都會的に洗練されて小ぎたならしくないのと、それに織りまざつた豪奢な風流逸事を、現今の生活では、たとへ金があつてやつてみても氣分がそれに伴ひきれない怨みを、美しい追憶としてゐるやうだ。私も震災後の雜ばくたる下町へゆくと、生れ故郷ではあるけれど見たくない思ひがする。それはあまり見馴れすぎてゐた舊文明の殼《から》が眼のうらにありすぎるからだ。兩國橋畔の變りかたは實に汚ならしい。隅田川筋一帶がさうではあるが、他所《ほか》は近代的美を徐々に造りつつあるとき、兩國橋附近も直《ぢき》にさうなるであらう。
 何處やら物悲しく感傷的にさへさせた花火――花火がすんだ暗い川
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