其角は、橋の上の方の贔屓だ。
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 納凉は五月廿八日に始り、八月廿八日に終る。常に賑はしといへども、就中、夏月の間は尤も盛なり。見世物所せき斗りにして、其招牒の幟は風に篇翻と飄り兩岸の厦樓高閣は大江に臨み、茶亭の床几は水邊に立て連ね、燈の光は耿々として水に映ず。樓船篇舟所せくもやひつれ、一時に水面を覆ひかくして、恰も陸地に異ならず絃歌皷吹は耳やかましく、實に大江戸の盛事なり、俗に川開きといふ即是なり(名所圖繪)
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 柳橋藝妓は巽巳《たつみ》の羽織――富が岡八幡|門前仲町《もんぜんなかちやう》の藝妓――が止められてから柳橋へ移つたのだといふが、本所一つ目お旅の辨天にも岡場所の藝妓たちが居た。かうした人氣とりの世界に、きりはなせないのは角力場で、はじめは深川八幡内で興行してゐたが、寛政三年になつてから囘向院が本場所となつた。したがつて、その附近の町に力士部屋があつたから、場處がはじまると兩國近所は町中《まちぢゆう》が狂氣のやうに興奮してしまつたのだ。地元は八ヶ町ととなへて、特別觀覽の木札が渡つて來てゐたから、力瘤の入れ方も一層だつたのであらうが、
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