になつてゐる。
 札差の手數料は祿高百俵について金壹分、百俵以下は一分を限度として談合のことになつてゐたが、それは表面だけのことで、米相場の高低、秤の具合など、赤ん坊對手の商業のやうなものであつたらう。幕末には幕臣の多くが遊墮《いうだ》になつて、狡くなり、中には札差を脅迫したり威したりしたでもあらうが、二百年もかかつて絞りあげた富は莫大な高である。しかも大岡越前守が、御米渡しも夏冬の二季と定めてからは、札差の利徳はことに大きくなつたのだ。貧乏旗本や御家人が、半年分の米を積んでおける餘裕のある筈はないから、みすみす半期の飯米《はんまい》が消えてしまはうとも、金に代へなければならない。それよりも、その殆が前期の利子に、元金の借に差引かれてしまつたのだ。私は子供のころ小旗本の老人に、幕末時代のそんな愚痴をきかしてもらつたことを覺えてゐる。御歴々でもさうだといつた。一年《いちねん》の取前高《とりまへだか》はみんな札差がとつてしまつて、諸拂にと少しばかりわたされるので困つてねだりにゆくといつた案配《あんばい》で、どつちが出入りなのだかわからなくなつてしまつて、お金も米も、先方の帳面によるのだから
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