橋畔なのであつたから、まけじ魂の金持たちが爭ひ集つて來て遊樂に散じた金は、世智《せち》がらい當今ではちと思ひおよばない高であつたらうと考へられる。
 しかし、札差はもとから富んでゐたのかといへばさうでない。ぽんぽち米《まい》を食つてゐた痩侍《やせざむらひ》の膏を吸つたのだ。米價を釣りあげて細民を餓ゑさせた餘徳だ。
「大倉の邊に、札差を業ひする豪戸あり、札差は他に比類なき一家業を營むもの」と記されてあるが、この豪戸は、たちまちにして豪戸になつたのだ。他に比類なき一商業とは、計算利益にうとい武士どもがあつたればこそ出來上つた商賣なのだ。
 お藏前の通りには、米倉に向つて向側に、手形書替所が二ヶ所あつて、役所には書替奉行といふものが各一人づつあり、ほかに手代が居た。お切米《きりまい》、お扶持米《ふちまい》、御役料《おやくれう》の手形書替へをする。札差の前身は、その役所近くに食物や、お茶を賣つてゐた葭簾《よしず》ばりの茶店だつたのだ。客を待たしておいて、書替に役所へ出入りしたり、大倉へ米をとりにいつたりしてゐるうちに、その道に明かになり、狡いこともうまくなつたのだ。剩つた米を安くかつて米店をは
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