ぎで、その時、乱暴人《あばれもの》に眼を打たれました。」
 視力も失《なく》したとでもいったのか、まあね、という嘆息もまじってきこえた。
「あ、あすこの――あの時の方ですか?」
 後向きの男の人の一人が、そんなふうに言っている。も一人の人は、遠藤氏といって清子さんとは同姓であって、死ぬきわまで一緒に暮していた人だということを、誰だったか、ささやいていた。
 雑誌『青鞜《せいとう》』や、その他の書籍がひろげられて、なき人の書いたものが載っているのを、人々は見廻した。しめやかではあるが、わやわやしたなかなので、気分も悪いわたしは、近間《ちかま》で話している、ほんの一つ二つの逸話しか耳に残らなかった。
「ごく若い時には日本髷《にほんがみ》がすきでね。それも、銀杏《いちょう》がえしに切《きれ》をかけたり、花櫛《はなぐし》がすきで、その姿で婦人記者だというのだから、訪問されてびっくりする。」
「『二十世紀婦人』の記者でしたろう、その時分は。」
「たしか、東洋学生会の仲間で、印度人に、英語を教えていたでしょう。」
 人々の眼には、ずっと若い時分の、遠藤清子さんが話されていた。わたしの眼には、それよ
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