園《ちくはくえん》の大会の余興に、時の総理大臣侯爵桂大将の、寵娘《おもいもの》の、仕舞《しまい》を見る事が出来るのを、人々は興ありとした。金春《こんぱる》流の名人、桜間左陣《さくらまさじん》翁が、見込みのある弟子として骨を折っておしえているというこの麗人が、春日《しゅんじつ》の下に、師翁の後見で「熊野《ゆや》」を舞うというのであった。
「熊野」とは、「熊野」とは――その意味の深いことよ。
 うつくしき人は、白き襟に、松と桜と、濃淡|色彩《いろ》よき裾模様の、黒の着附けであった。輝くばかりの面《おも》に、うらうらと霞《かす》めるさまの眉つき――人々は魅しさられた。

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――春前《しゅんぜん》に雨あつて花の開くる事早し。秋後《しゅうご》に雲|無《の》うして落葉遅し。山外に山あつて山尽きず。路中に道多うして道極まりなし「山青く山白くして雲来去す。」人楽しみ人|愁《うれ》ふ。これ皆世上の有様なり……
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 ひるがえる袖、ひらめく扇。時と人のよくあって、古《いにし》えを今に見る思いがした。
 噂《うわさ》というものは、いかにあろうとも、軽率な侮蔑《ぶべつ》を、同性の人にむかって投附けるほど、向う見ずな勇気をもたないわたしは、ともすれば、その人の心の真を知らないものが、反感をもって眺めるであろうと思う束髪を見て、かえって気が楽になったように思った。なぜならば、切髪というものは、昔は知らず今の時代では、空々《そらぞら》しく思われないでもないと、日頃思っていたからで、形において、夫にさきだたれた独身者であるということを、証明する必要のないものは、かえって人目に立って、異様な粧《よそお》いをこらす結果とあまり違わないことになるからだった。ことにとやかくと、人が噂にのぼせたがるものがそうした姿かたちをするのは、猶更《なおさら》注意をひきやすいと思っていた。
 わたしはこう言った。
「貴女が今までに、あんまり間違ったことを言われるとお思いになったことをきかせて下さい。新聞や雑誌に、お名前の出たところはたいてい読みましたが、そういうものはみんな忘れる事にしました。聞噛《ききかじ》ったことを興味で書かれてはたまりませんし、読む人は、他人の苦痛はいくらでも忍耐が出来ますから、面白い方をよろこびますものね」
 彼女は答えた。
「本当に――最初《はじめ》はくやしいと思っても、段々|馴《な》れて、それに反抗心も出て、勝手になんでも言うが好《い》い、いくらでも書くが好いという気になって、意地悪になってしまって……」

       六

 彼女の頬《ほお》は、暖炉や飲料《のみもの》のためではなくカッと血の気がさした。それを見ると、わたしは気持ちがすがすがしくなって、お鯉は生ている、生作りの膾《なます》だと、急に聞く方も、ぴんとした。
「あたしは貴女にいろいろ聞きたいことがあるのですが、みんな後にしてしまって、桂さんに御死別《おわかれ》になったあとのことが――さぞ、世評は誤解だらけでしょうから、ありのままのことをお話して頂きたいのです」
 わたしが無作法にも、訪問記者のようなことを言出したのは、あの頃――桂侯爵の逝去ののち、愛妾お鯉に、いくら面会をもとめても家人が許さなかったというような新聞記事を見ていたからであった。気の弱いわたしはそこまで立入った問《とい》は心がゆるさなかったので、その真偽は聞きもらしたが、思いがけない面白い――面白いといってはすまない、その人にとれば、いままで、善を悪として伝えられ、白を黒と発表されていた事柄なのだった。お鯉という女の真意は、かくのごとく清く滞らないものであるということを語るには、ありのままを記《しる》そう。
 この女《ひと》も意気の女だった。何もかも振りおとして、重荷をはらってしまおうと思うと、慾も徳も考えない気短な、煩《うる》さがりやの、金銭に恬淡《てんたん》な感情家なのだった。わたしは、自分にも、共通の弱点のあることを考えてほほえんだ。痛快にも思った。
 人はあるいはいうかも知れない。些細《ささい》な感情などに動かされて、利害を忘れ、長き後《のち》の悔《くい》を残すと――けれど、もしそういう人があったならば、わたしは誇らしく面《おもて》をあげていうであろう。冷徹な理性の人にも失敗はある。感情に激しやすくっても失敗はある。いずれが是《ぜ》、いずれが非《ひ》と誰れが定められよう。感情の複雑な人ほど、美人は人間的の美をますと――
 彼女は白い手に銀の小刀をとった。赤い柿《かき》の皮が細く綺麗につながってゆく。エメラルドは指に碧《あお》く、思出は彼女の頭の中をくるくると赤く、まざまざと巻返えされていると見える。彼女の眼の色は早春の朝のように澄んで冷たく、初夏の宵《よい》の、明星のように瞳《ひとみ》は熱っぽく輝いた。
「わたしに残して下さった遺産は七万円からあったのです。それから三人の子供をわたしの子にしていたのです。そうして残されたものが、わたしのものではないように、他人《ひと》がとやこういって、肝心のわたしが頭をさげて利息をすこしばかり貰《もら》いにゆくという、おかしな事がありましょうか?」
 そんなばかなことをと、誰しもがその時答えるであろう。ましてわたしには、数字は違っているが、そんな運命にあって、二人の男の子を抱いて、物価騰貴のおりから苦しんでいる妹を持っているので、他人《ひと》ごとならず感じられた。此処にもそうした女性があるのか、女というものはどうしてこうまで虐《しいた》げられ、自己の権利を蹂躙《じゅうりん》されるものかと怒りがこみあげてくるのであった。
 そのおり令妹のしげ子さんがはじめて口をはさんだ。
「わたしは姉ともう五年一所に暮しています。はじめは、姉が寂しい気持ちのドン底にいた時に、わたしというものを思出して呼びよせたのです。わたしと姉とは、まるで育ちも境遇も違うので、行ってもどんなものかと思ったのでしたが、来て見ると、聞くと見るとは大違いなので離れる事が出来なくなりました。あの時は、全く姉は孤立で、真に心淋しかったのだろうとよく思出します。世の中の噂のようなことが本当ならば、わたしは志望《こころざ》した道を投捨《なげすて》てまで、五年間もこうして姉さんをたすけていやあしません。姉さんの犠牲になって、こうした商業《しょうばい》の帳附けや監督になんぞなりはしません」
と、しんみりと言った。全く彼女にはそう思えたに違いない。秋田で育って県の女学校にはいり、女医を志望していた人には、あまりな商業《しょうばい》ちがいである。
「全くこの妹には気の毒だったのですけれど――この妹でもいてくれなくっちゃ、――この家業だって、ビールか葡萄酒《ぶどうしゅ》でなくっては、西洋のお酒の名さえ分らないのではねえ」
 お鯉は眼をふせて面伏《おもぶ》せそうに笑ったが、
「わたしにしてもよくよくだったのです。姉さんが気の毒でとても離れられなかったので、一緒にいろいろ心配もしましたが、その頃のことはわたしも知りませんでしたけれど、あとで聞いて見ると、姉は、自分の事は自分でする、他人の差図《さしず》やお世話にはなりたくないと思っていたらしかったのですね」
という令妹の言葉に頷《うなず》いて、
「ええ、そうなの。そうではないの、あの方だって、誰の差図をうけろのどうのとは仰しゃらなかったし、もともと遺産といっても、あの方がおなくなりになってから、御本邸の方の財産をへらして分けて頂くのでもなんでもなかったのですもの」
「では、もともと貴女のものとしてあったのですか?」
 わたしはもうへだてもわすれて、率直に自分の聞きたい方に急いだ。
「広太郎という御子息がありましたの、その方の事は大層信用していらっしゃったので、俺《おれ》が死んだらば、直にこの手紙を子息《むすこ》のところへもってゆけ、そうすれば、何にも言わなくっても、すっかり分るようになっていると仰しゃって、表書《おもてが》きにその方の名前を書いた文《ふみ》が出来ていましたのですけれど、その方《かた》のほうが先へおなくなりになってしまったので、それで面倒くさくなったのです。すった、もんだで、一年半というものは実に嫌《いや》な月日をおくりました。その間の苦しみって、困ったの困らないのって、お話にゃなりません。何しろその金へは手が附けられないのですものね。三人の子供と、二人の老母《はは》と、十人の召使いとがいて、以前の家に住んでいたのですもの」
 おお、その時であろう、お鯉さんが貧乏していると伝えられ、あるものをみな手離しているといわれ、それはみんな彼女のふしだらからだなぞと噂されたのは――
「それもね、わたしが強情《ごうじょう》で、井上さんと喧嘩《けんか》をしたからですの。だって強情にもなりますわ、意地も悪くなりますわ、困らしたらば彼女《あいつ》頭をさげてくるだろうと、弱いものいじめをなさるから、わたしはどうしても屈服することが出来なくなって、苦しい意地も張るようになったのです」
「では、その財産をどうしようと先方《むこう》ではいったのです?」
「利息だけで暮らせ、それを毎月貰いに来いというのです。それには大変な個条書きが附いていて、それで承知ならば実印を押せというじゃありませんか。その個条書きったら、ほんとにばかばかしくって、とてもあたしには、さようで御座いますか、承知いたしましたとはいえないのですもの。今度出しておいてお目にかけましょうね、その個条書きっていうのを、あたしはちゃんと取ってあります。あんまりおかしいから、あたしは立派に張って巻物にしておこうと思っていますわ。しかも、あたしは押しゃあしないけれど、立会人になった、立派なお歴々の判はおしてあるのですの」
「随分ばかげた事ではありませんか、そんな騒ぎをして、後《のち》に渡してよこした時は、七万からのものが五万いくらかになっていましたって」
と、しげ子さんもいった。私も、
「井上伯とか侯とかは、そんなばかばかしいことでもしていなければ用もなかったのでしょうか、一体まあ立会人ていうのが誰なのです。随分世の中には暇な人が多いと見えますね、たのまれもしないことを」
「本当に頼まれもしないことをです。残していって下さった方は、頼みもなんにもしないことなのに」
「やろうというのは、その者に充分につかわせたいからなのは分っているじゃありませんか。何だって余計なことをしたものでしょうね」
「本当に貴女の仰しゃる通りよ。そのお金だって、いちどきに沢山|儲《もう》ける実業家ではなし、大臣は貧乏だったから、なかなかあれでも心にかけて積んでおいて下さったのです。よけいなものが出来ると、これはお前の分にして銀行へ入れておいてやろうといったり、臨時のことで株券なんぞが手にはいると、お前のものにしておいてやるからといって、その場で下さるものを銀行へ入れておいただけだったのです。ですから当然自分のものだと思っていたのです。それをいくら問いあわせても返事をしてくれずにほっておいたのちに、井上さんへ呼ばれるといまの話――個条書きの一件なのです。
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一 貞操を守る事、
一 子供の教育を自儘《じまま》になさざる事、
一 犯《みだ》りに外出いたすまじき事、
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 そんなことを読みあげて判をおせって……」
 語るものも、聞くものも、顔を見合せて失笑した。
「あたし夫人《おくさん》じゃない、妾《めかけ》ですっていってやったの」
 なんという簡にして要を得た、痛快な答えではないか?

       七

「そうすると怒ったのおこらないのって、あの有名な癇癪玉《かんしゃくだま》でしょう、それを破裂させたのです。馬鹿ッ、貴様はッて怒鳴ったのですけれど、あたしゃあ怖《こわ》いことはないから言ってやりましたわ。第一貞操を守る事なんて、そんなこととても出来ません。わたくしは若いのですし、旦那はおかくれになったのですから、これからのことはわたくしの自由では御座いませんか、そんなお約束はうっか
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